幼稚園児の魔法

私が記憶する限り、幼稚園時代の私は、保母さん達を夢中にさせていた。

お人形のような可愛い子供だったわけではない。

両親の方針で、服の色は「白か黒か紺」で、パンツスタイル。

髪の毛はベリーショート(というか、ほぼかりあげ)

母が言うには、大きな黒い瞳を、いつもキラキラさせて、好奇心いっぱいの、おしゃまさんだったそうだ。

他人に対して、警戒心というものがまるでなく、子供と遊ぶよりも大人と遊びたがった。

大人の気を引くような台詞を、簡単に口に出来るような、頭もまわる子供だったらしい。

IQテストが130だったらしいから、今よりも賢かったのかもしれない。

園内にあった絵本は、一日あれば全部読めたし、お遊戯の振り付けも、一度で覚えて、一番前でみんなのお手本をしていた。

保母さんのする事を手伝いたがり、まねをしたがり、甘えたり時にはすねたり・・・・・

保母さん達は、きそってそんな私の気を引こうとしていた。

登園しても、保母さん達全員から迎えらた。

おしゃべりし、まとわりつき、何か新しいものを求めて目を輝かせていた自分の姿が、イメージ画像のように脳裏に残っているし、何よりも、母の育児日記にその不可思議な光景が、綴られている。

先日お会いした、友達の双宝さんに

トットちゃんみたいな子供を想像する」

といわれた。

「窓際のトットちゃん」

は、私も読んだ。

似てるところもあると思ったけれど、黒柳さんには申し訳ないけど、もう少し協調性はあったと思う(たぶん)

あの頃は、一日がとても長かった。

子供の私には、手に余ることが沢山あったし、知りたいことも沢山あって、きりがないような、自分が自分を追いかけているような日々だった。

小学校は、公立の普通の小学校で、私は6年生の教室と職員室で休み時間を過ごす1年生だった。

愛されていたと思う。

家庭の温度の低さに、他人のぬくもりをひたすら求めていたところもあったと思う。

それより何より、「知りたがり」だったのは、トットちゃんと同じだったと思う。

「知識欲」は、私の中では「食欲」や「睡眠欲」と同じレベルだった。

それが、小さかった私の原動力だったのだ。

「家庭での愛」があれば、また違った、今の私だったかもしれない。

私の知識欲を満たしてくれる環境へ、誘導されていれば、また違った私だったかもしれない。

大人になり、私の「魔力」の衰えを感じる時、幼き頃の自分を必ず思い出す。

今は、情報が満ちあふれ、出会いでさえ、まるで自販機でお茶を買うような簡単なものになった。

便利になればなるほど、「魔法」だとか「魔女」だとかは、消えていくものなのかもしれない。

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